私の母 嘉子さんの実母 トネちゃんと祖母 トラさんのお墓は、村岡小学校を臨む丘の斜面にあります。昨年の今日 2008年4月17日。春から初夏へと向かい、草が繁り始めている丘の斜面にはあいにくの雨が降りそそいでいました。
ワイパーがはじく雨粒がフロントグラスの行く手をさえぎり、このお天気では、お墓参りはできな いねと憂えながら、嘉子さんと私はそれでもお墓へ向かっていました。丘の上の駐車場に車を停めると、驚いたことに雨が小雨に変わったのです。念のために、嘉子さんの足元をかばって、私ひとりでお参りをしてくるこ とになりました。
草を分け、イノシシとシカの落し物を交かわしながら、約20年前に訪れた時の記憶をたどって墓石を探すものの、いっこうに見つかりません。ついに、嘉子さんが駐車場から降りてきて探し始めたら、導かれるように、あっけなく墓石群は見つかりました。
トネちゃんこと本名 千鶴子さんの墓石には、昭和七年 弁説和尚建立と刻まれています。妻のために経を読む弁説さんの姿が見え、声が聞こえてきそうです。簡単に掃除をし、お線香をあげて手をあわせると、嘉子さんは「これでもう思い残すことはない」と、つぶやきました。
私たちは前夜は、NHKドラマ「夢千代日記」で知られる湯村温泉に泊まり、お墓参りの朝には、夢千代記念館を訪ねています。
「夢千代日記」は原爆二世として生まれ、原爆症を発症して余命短い芸者さんと彼女を取巻く人々の日常を描いたドラマです。脚本、監督の早坂暁さんがひなびた温泉の舞台として選んだのが、 村岡町から小さな峠をひとつ越えた湯村温泉でした。
848年 慈覚大師による開湯とされ、明治の終わりから大正にかけての頃、温泉町(新温泉町)の初代町長を経て美方郡郡長に就任した 田中荘太郎さんが振興に力をいれたという記述が見られます。
田中さんは嘉子さんの縁続きにあたり、祖母のトラさんを亡くした嘉子さんは尾張に行くか、田中さんの養女になるか…と問われて、尾張を選んだのだそうです。生前のトラさんに「私が死んだら、尾張へ行きなさい」と諭されていたから…と、嘉子さんは語ります。嘉子さんはそんな事情から、面影すら覚えていない政治家に親しみを感じ、地域に貢献した人と縁続きにあることに誇りを感じているようです。
嘉子さんと私は夢千代記念館を見学して、そこで古い写真を見つけました。田中荘太郎さんの写真です。
嘉子さんは感慨無量のようでした。私も私という存在の中に流れている、縁者たちの人生の物語を改めてかみていました。そして、1年後の嘉子さん宛に手紙を書きました。
夢千代記念館では、指定した宛先に1年後に手紙を届ける”夢手紙”というサービスを行っているのです。
夢手紙のことをすっかり忘れてしまった1年後の春、母宛の手紙が自宅に届きました。この手紙が届く頃にも、嘉子さんは元気でいてくれるろうか…と、小さな心配を胸に書いた手紙です。
そんな杞憂はどこ吹く風、80歳を超えた嘉子さんは今日も元気に、私たち家族のお世話に励んでいます。
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