謡曲「高砂」で知られる海辺の町でよっこちゃんは生まれました。

1歳で母を亡くし、5歳で病気の父と別れて、祖母に引き取られ
兵庫県北部の村岡町(現:香美町)に移り住み、やがて兵庫を離れた
よっこちゃんには、高砂の生家を訪れる機会はありませんでした。

そのよっこちゃんが、75年ぶりに高砂を訪ねました。

よっこちゃんのお父さんはお坊さんでした。
尾張の商家から京都の佛教大学へ修業に出て
ご縁があって、高砂のお寺の住職になったのでした。

よっこちゃんは毎朝、お父さんに手をひかれて
高砂の浜を散歩したそうです。imgp14952

近くには神社があり、そこに翁と姥の像があった
…と、よっこちゃんは言うのです。

その記憶を頼りに、高砂の町を歩くよっこちゃん。

高砂神社で手を合わせ、老夫婦の像を探しますが
信徒会館の外壁に大きな絵が描かれているだけです。
神社を出て、海岸へと向かうものの
埋め立てられた海は、工場の陰に隠されて
水面のかがやきの一条すら見えません。

産業道路と並行する路地を入ると、お年寄りが網の手入れをしていて
今でも、漁業を営む人がいることが分かります。
そして、この路地がかつて海岸沿いの漁師町であったことも…

幼い頃、漁師さんが漁の帰りがけにお寺の厨を立ち寄っては
獲れたお魚を置いていってくれたことを思い出します。

やがて、新しい住宅地が並び、変わってしまった街並みにimgp1500
よっこちゃんは生家を探すのをあきらめ、駅へ戻ることに。

広い通りでバス停を探すと、白い高札が目にとまりました。
「八田山 月西寺」

民家のように見えましたが、どうやら、お寺のようです。

高札には、江戸城を築いた太田道灌の末裔とされる月西上人が
全国行脚に身を託した後、東山天皇の時代、宝永4年2月28日から
法然上人ゆかりの高砂の地に定住。
八田治郎太夫の居住跡の庵を結んで、庶民とともに念仏し
粗食に甘んじ、精進し、正徳6年2月28年に遷化したと書かれています。

その高札の陰に隠れるように、ひっそりと蘇鉄が…imgp1512

よっこちゃんの脳裏に、記憶のピースが
ジグゾーパズルのようにつながっていきます。

数年前に亡くなった兄(戸籍上は従兄)から
高砂の生家の庭に植えられていたという
蘇鉄の写真を見せられたことがあります。

よっこちゃんは、75年ぶりに
生家に戻ってきたのだ、と実感しました。

高札には、蘇鉄は法然上人のお手植えであり
天空月西上人の直筆6字名号などの遺品が
この寺に残されていることが記されています。

亡き父 亀村弁説さんはこの寺に奉職するために
たくさんの私財を費やしたとのことです。

にもかかわらず、病気療養中の尾張の実家で息を引き取った
弁説さんは、この寺にどのような思いを託し
どのような思いを残し、この世を去っていったのでしょうか。

亡き母 亀村千鶴子さんが生を授けてくれた生家に
やっと戻れたよっこちゃん。
この3月、81歳の春を迎えます。

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4 Responses to “75年ぶりの高砂 よっこちゃんの旅 vol.3”

  1. […] って、京都の仏教大学に入学しました。やがて、お説教をするお坊さんとして認められ、高砂のお寺を任されたようです。親元を離れ、仏教の道を志した若い僧侶が病いによって道を閉ざ […]

  2. […] 早世したことをあちらこちらで時々、語ってきました。 □Ref.75年ぶりの高砂 よっこちゃんの旅 vol.3 […]

  3. […] 早世したことをあちらこちらで時々、語ってきました。 □Ref.75年ぶりの高砂 よっこちゃんの旅 vol.3 […]

  4. […] お坊さんを出したいという彼の父親の意に従って、京都の仏教大学に入学しました。やがて、お説教をするお坊さんとして認められ、高砂のお寺(八田山 月西寺)を任されたようです。 […]

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