2011年、西濃運輸硬式野球部が伝統ある同部の存続をかけて
2/7から和歌山県で、2週間の合宿練習に入るそうです。

存続をかけて…と言いますのは、創業家の先代自らが創部した同部は
社会人野球の最高峰、都市対抗野球大会にも31回の出場を誇る名門!

ところが、一昨年、昨年は東海地区予選で敗退が続いていて
万一、本年も出場を逃し、3年連続で敗退したら休廃部なるかもしれない
…という瀬戸際にたっているのです(詳しくはこちら)。

110204e794b0e58fa3e38195e382931野球部部長で、セイノー・ホールディングス社長の
田口義隆さんによると、3年連続で…という背景には
創業者とのお約束があるそうです。

同部はお父さまで前社長の利夫氏が
全国にまたがる事業所で働く社員さんの気持ちを
ひとつにするために、創部されたとのこと。

創部にあたり、おじい様である創業者の利八氏が
条件をつけました。

「3年で全国大会に出場できなければ
廃部にすること!」

おじい様は明治生まれで、120キロの巨漢だったそうです。

大きすぎて、体にあう軍服がなくて、後方支援部隊に配属され
軍の物流メンバーとして、トラックで中国の原野を走り回られた経験が
運輸会社創業のキャリアへとつながったとのこと。

なんだか、感動的…
キャリアの専門家として、壮大なキャリア物語に胸が打たれます。

下呂から大垣へ本社を移転されたのも、おじいさまの先見の明
大垣は平野で水があって、人が行き交う土地だったから…とか。

そんなおじい様ですものね。。。

厳しい条件つきで、西濃運輸野球部は1960年に発足。
そして、1962年、都市対抗野球大会への初出場をはたしました。

創業者との約束どおり、3年目の快挙です。

以来、同部は都市対抗への出場と優勝をめざしていて
過去にも、3年連続で出場を逃して、休部となったことがあります。

そんなわけで、2年連続敗退に続く今年は正念場…
創業者一族である田口さん自ら、野球部部長に就任されました。

去る1/11には、大垣の野球場前の成田山に詣でて
熱い!必勝祈願もされたようです。

田口さんに亡きお父さまの遺志を継ぎたい想いがおありなのかどうか…
いずれにしても、ご本人が意識していても、していないくても
お父さまが願った社中一丸の精神はきっと、社員さんたちに届きそう!

申し訳なくも、野球というスポーツそのものにはあまり関心がないものの
野球を応援するという活動は、子供の頃からいまも大好きです。

私の亡父は若い頃、東京での営業先開拓を任されて、三河から上京
営業の苦労を重ねていた昭和40年代は、ジャイアンツの全盛期でした。
父はジャイアンツの連勝を励みに、飛び込み営業を続けていたかもしれません。

(ドラゴンズファンの田口さん、ごめんなさい!)

そんな父に連れられて、ごくまれに訪れた後楽園の記憶は楽しい思い出です。
だから、野球の応援は今でも大好き!

今年は、田口さんのお父さま、亡き愚父の魂と一緒に
西濃運輸野硬式球部を応援します!

都市対抗出場! のみならず優勝をめざしてまいりましょう!

社外後援会、創ろうかしら!
皆さんもご一緒にいかがですか?

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