人材開発プロデューサーとして、日々、様々な仕組みや仕掛けを創り
その営みの中核となっているのは、教育研修の企画と運営です。

この仕事を始めて20年。年々、学習者との意思疎通の難しさを痛感します。
その大きな要素が「言葉」。

同じ言葉を使っているのに伝わらない・・・
むしろ、同じ言葉を使いながら、違うことを言っているので伝わらない。。。
といった体験は、誰でも日常的に体験しているはずですが、
年々、その頻度が高くなっているように思えるのです。

日本語とその文法が変わりつつあるうえに、
これまでの言語体系や意味のパターンが崩壊しつつさえあると思えます。

そんな折に手にした山鳥 重さん著
「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)

脳科学者の方々の活躍によって、よく知られるようになった記憶のメカニズム。
「わかる」ということの土台も、記憶にあるそうです。

私たちの知覚系は生きているかぎり、ある働きを繰り返しています。
それは、知覚したものを「区別→同定(照らし合わせ)」すること。

つまり、「知覚心象が意味をもつには、記憶心象という裏づけが必要」で
「記憶にないことは、わからない」のだそうです。

しかも、人は他者と交流するために、言葉という記号を手に入れました。
言葉はカミ、エンピツのような客体を記号化したり
ハシレ! ニゲロ!といった運動パターンを記号化するのみならず、
ハイ! イヤ!といった心の状態までも記号化することを可能にしました。

だから、「相手と同じ心象を喚起するには、
その手段である言葉と言葉の意味を正しく覚えておく必要があります」

言葉を操り、主に言葉を介して、学習支援を行っている立場から
果たして、正しい意味とはなんだろうと真剣に考えてしまいます。

私はキャリア開発の専門家でもあり、例えば、キャリアという言葉も
人々の記憶心象はあまりにも様々で、むしろ様々すぎて
学習者の心象を揃えるところから始めないと、学習の足並みが揃いません。

キャリアを含め、日本語に訳せない外来語が増えていたり
山鳥さんが著書で述べているとおり、ITとか、アナログ、デジタル、PCとか
新しい概念を表わすために登場した言葉が、巷にはあふれかえっています。

「分かりやすい」というので、ヴィジュアルが多様されるようになったのも
言葉の意味を正しく記憶しないで使う風潮を後押ししているように、見えます。

ビジュアルは、わかり難い概念を絵として、図形として
分かった気にしてくれるものですが、本当に「わかる」に至る前に
分かった気になってしまうというリスクがあります。

このような事情から、人々は正しい意味をよく理解しないまま
わかり難い言葉を分かったような気になって、使用しているようです。

「記憶にないことは、分からない」

記憶にあっても、正確でなければ、分かりあえない。
そんなことが、いま学習の場のみならず、職場で家庭であらゆるところで
起こり続けているのではないでしょうか。

コミュニケーションギャップが懸念される昨今、プロ講師としての責務として
言葉の正しい意味を確かめ、記憶していくという地道な努力を続け
記憶心象の大きなズレを防ぎつつ、学習者とのわかり合う体験はもとより
学習者相互がわかり合う体験を創造していきましょう。

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