2001年に独立した折に、人材開発プロデューサーという肩書を作り
肩書に恥じない働き方をめざして、足かけ10年を過ごしてきました。

今日は40代最後の1日。。。
明日朝8時45分に、50回目の誕生日を迎えます。

30代を終えて、40代に入る前、入った後、さまざまな人々から
「オウダイにのる気分はどう?」かと訊かれました。

答えは、何も変わらない=実感はない…というものでした。

今日は違います。
たった1日、10/31が11/1に変わるだけなのに、深い感慨があるのです。
センチメンタルな気分がともっていて、心の竹林が揺れている感じです。

imgp0448そのせいか、ここ数日、古い思い出がよみがえる体験が続きました。
30年近く前に仕事を教えてくれたグラフィックデザイナーとの再会をはじめ
25年前の創作活動を思い出す出来事 ⇒ 詳しくはこちらから

10代の頃、若尾彩子さんが黒川記章さんとご結婚された時
若尾さんが50才の「おばさん」というので驚きました。
が、50才を過ぎ、これから結婚するかもしれないと思うようになりました。

20代の頃、島田順子さんに憧れて、JUNKO SHIMADAで装いました。
うっすらと白いものの混じる順子さんの前髪を美しいと思いましたが
いまでは、白いものが混じる前髪をマネキュアしようかと迷っています。

人生80年、40歳は人生の正午。。。というものの、100歳まで生きるなら
まだまだ正午ではないと思えたけれど、もし100歳まで生きられるとしても
50歳はいよいよ、人生の正午です。

本当に人生の折り返し地点にたち、残りの人生が悔いなく過ごす責任を
つくづくと感じる50歳マイナス1日、2009年のハロウィンです。

還暦を迎える頃には、ソーシャルチェンジプロデューサーとして
社会を平和的友好的に変革するための仕組みと仕掛けをつくりたい。。。

だから、50代ではこれまでの活動を続けながら、後輩を育成するために
スーパーヴァイザーとしての役割も果たしていくつもりです。

これまでの活動としての人材開発プロデューサーにスーパーヴァイザーの
役割を足し算したら、人材開発プロヴァイザー。。。

これが、私の50代のありたい姿、めざす在り様です。
まもなく、40代に別れを告げ、50代の声を聞きます。

Tags: , ,

トラックバックURL

コメント

コメント欄では次のタグが使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>