トネちゃんはお裁縫の上手なお嬢さんでした。何かの事情で子供のない亀村家にもらわれ、何かの事情で愛知県出身の僧侶と出会って結婚し、女の子をもうけました。その女の子がよっこちゃんです。

よっこちゃんが1歳の時、トネちゃんは病気で亡くなりました。トネちゃん亡き後、よっこちゃんはお父さんと二人で、兵庫県の高砂町に(現:高砂市)暮らしていました。かつては美しい白砂で知られ、能「高砂」の舞台にもなった瀬戸内海に面する静かな町です。よっこちゃんは今でも、お父さんに手をひかれ、白砂の浜辺を散歩したことを覚えています。今から70年以上前のことです。

お父さんはお坊さんで弁説さんと言いました。弁説さんとよっこちゃん、父娘二人の穏やかな暮らしは長くは続きませんでした。弁説さんが病を患い、愛知県の実家で療養をすることなったのです。よっこちゃんはトネさん方の祖母、 トラさんに預けられることになりました。トラさんは同じ兵庫県でも日本海側、美方郡村岡町(現:香美町)に住んでいました。

ある朝、お父さんの弁説さんは尾張へ、よっこちゃんは村岡へ。弁説さんは駅のホームで手をふって、汽車で旅立つよっこちゃんを見送ってくれたそうです。5歳の小さな女の子と病いの父親が、汽車の窓の内外で手をふり合って別れるシーンを思う度に、涙があふれます。

弁説さんはとても賢い子供だったので、一家からお坊さんを出したいという彼の父親の意に従って、京都の仏教大学に入学しました。やがて、お説教をするお坊さんとして認められ、高砂のお寺(八田山 月西寺)を任されたようです。

親元を離れ、仏教の道を志した若い僧侶が病いによって道を閉ざされ、最愛の娘とも別れて、故郷へ戻るにあたっては、どれほど無念だったことでしょう。また、父がいつか迎えに来ると信じて、父と別れようとしている少女の心細さはいかばかりでしょう。

しかも、二人はこの後、二度と会うことはありませんでした。弁説さんは翌年、尾張の実家で亡くなったのです。p4170769e794b0e4b8ade58589e794b7e291a0

p4160651toe69d91e5b2a1e5b08fe5ada6e6a0a1実母を亡くし、実父と別れたよっこちゃんは冬は雪に閉ざされる村岡町で、ほんの数年間を過ごします。トラさんは不憫な孫を大層かわいがっていたらしく、よっこちゃんはゲンさんという男衆さんにおんぶされて、川を隔てた村岡小学校に通いました。

トラさんはよっこちゃんに常々、言いました。「私が死んだら、お父さんのお兄さんのいる尾張へ行きなさい。尾張は豊かな土地だからね」

そして、よっこちゃんが小学校2年生の夏、トラさんは他界します。よっこちゃんは愛知県の伯父さんに引き取られ、弁説さんのお兄さん 信義さんに育てられることになりました。

信義さんと妻のお敬さん夫妻は、糸屋さん(紡績業)を営んでいて、第二次大戦前にはたくさんの女工さんを預かっていました。よっこちゃんを3人の我が子とわけへだてなく育て、よっこちゃんは養父母のもとでの恵まれた暮らしをするようになりました。

それでも、よっこちゃんは、亡き母、亡き父のこと、トラさんと過ごした村岡での暮らしが忘れられませんでした。一方で、周りの配慮から実父、実母や村岡町の親族たちのことはあまり知らされませんでした。よっこちゃんは自分のルーツに落ち着かない想いを抱き続けていたようです。

よっこちゃんが50歳くらいになった時、ふと村岡町を訪ねる旅に出ました。旅館の予約もせず、幼い日の記憶を頼りに、亡き母の菩提寺を探し、親戚のマサコお姉さんとも再会しました。よっこちゃんの人生で最大の冒険でした。

よっこちゃんとは私の母、嘉子です

嘉子さんが慕う村岡町を、私もこれまでに4度、訪ねています。1度目は25歳頃、嘉子さんと電車を乗り継いでの旅でした。2度目はたぶん28歳の頃、嘉子さんを助手席に乗せてのロングドライブ。3度目は30歳の頃、嘉子さんと夫(つまり、私の父)の故 宏さんp4160619e69d91e5b2a1e291a7と3人でのドライブ。そして、4度目が昨年の今日 2008年4月16日のことです。

嘉子さんが80歳に近づき、元気なうちにもう一度、トラさんとトネちゃんのお墓参りをさせてあげたいという想いがあり、準備を進めた旅でした。

この旅では、小代という地区に住む”マサコお姉さん”も訪ねました。トラさんの姪御さんにあたる方で、97歳になられたと聞いたように思います。マサコさんはなつかしそうに、あれこれの思い出話を語ってくれた後、母に言いました。「あのかわいそうなよっこちゃんが…。今は幸せなの?」

p4160689e6ada3e5ad90e291a21嘉子さんはきっぱりと答えました。「はい、とっても幸せです」

それは社交辞令ではなく、想いのこもった力強い声でした。私はとても嬉しく思いました。わずか10歳になるまでに母、父、祖母という大切な家族を亡くし、実父の実家のある愛知県に移り住んだ少女時代。結婚して、子供たちも巣立ち、還暦を過ぎて少しづつ夫婦の時間を取り戻しつつあった矢先に夫を亡くした60代…。

私が外出をしようとすると、何かと世話を焼き、外出を引き留めているかのような嘉子さん。隣家に住む孫たちの帰りが遅い夜はテレビを見るのもうわの空で、過分に心配してしまう嘉子さん。

大切な人を失うのではないか、と畏れ続ける人生を送ってきた嘉子さんが「とっても幸せです」ということに、なぜか肩の荷がおりた気分でした。嘉子さんは亀村の姓を継ぎ、松川の家で育ち、犬塚の家に嫁ぎ、家族とは何かを探り続け、長い旅の果てにやっと家族を実感できるようになったのだと思います。

血がつながっているだけが家族でもなく、一緒に住んでいるからと言って家族でもなく、家族は創るものであることをよっこちゃんの旅が教えてくれるました。

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2 Responses to “家族のキャリアを訪ねて よっこちゃんの旅 vol.1”

  1. […] 1歳で母を亡くし、5歳で病気の父と離れ、祖母に引き取られ 兵庫県の北にある村岡町(現:香美市)に移り住んで以来 よっこちゃんには、高砂の生家を訪れる機会はありませんでした […]

  2. […] 亡き父 亀村弁説さんはこの寺に奉職するために たくさんの私財を費やしたとのことです。 […]

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